熊本城本丸御殿大広間
2008年4月復元された熊本城本丸御殿大広間の一般公開
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有珠山噴火被害状況

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皇居二重橋・浅草寺・三大瀑布華厳の滝
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世界遺産日光東照宮
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三大瀑布那智の滝・三段壁
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世界遺産石見銀山
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山陰の角島と青海島
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福岡城趾の桜と近場の桜
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九州大分日本一の大吊り橋
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九州大分の紅葉名所
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九州の名城熊本城
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熊本の隠れた穴場的名所
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日本三大名城の熊本城

熊本城063jpg 熊本城は加藤清正により西暦1608年に築城され400年以上経年した日本三大名城のひとつ。なお、城主の加藤家は豊臣から徳川の時代へと変わると二代で改易となり、その後は細川家が入り徳川幕府が終わるまでの細川11代に渡り居城を続けた。熊本城は明治になり廃城となった。

 明治になり西南戦争(西南の役)が始まり西郷隆盛率いる薩軍の北上を阻止せんと熊本城に置かれた熊本鎮台(陸軍司令部)の官軍が応戦する。だが圧倒的兵力の差に違いがある薩軍に押され官軍は熊本城に籠城し味方の援軍が来るまで50日余りの猛攻に耐え抜いた。
 その時の薩軍は堀の外から大砲で天守閣を攻め落とそうと試みるが薩軍の大砲の玉は天守閣まで届かなく、まさに難攻不落の城であった。しかし残念な事に西郷軍総攻撃の3日前に原因不明の火事で天守閣や本丸御殿等が消失している。
 現在の天守閣は昭和35年(西暦1960年)に鉄筋コンクリート造りで復元され、本丸御殿大広間は平成15年秋から工事が始まり平成20年(西暦2008年)工事完了し4月20日に一般公開された。

熊本城の石垣

 熊本城の石垣は「武者返しの石垣」として有名。また、「扇の勾配」とも称される。二様(によう)の石垣を見ると手前側が最初に作られた石垣で勾配が緩やかな構造であった。だが新しく作られた石垣は弧を描いた石垣は上に上るほど垂直に近くなっている。なお、二つの石垣は石の積み方が全く異なる方法である。
 櫓(やぐら=矢倉)
 武器を納めておく倉庫のことで名の如く矢の倉であり、戦が始まったら櫓の壁面に設けられた「狭間」と称する小さな小窓から弓矢や鉄砲などを放ったり敵兵めがけ石落としもできる。戦の無い平穏な時は倉庫として利用された。独立櫓跡では石垣に囲まれた狭い通路を敵兵が通ると櫓の「鉄砲狭間」から攻撃される。熊本城には櫓は幾つあったのかと調べてみると宇土櫓を筆頭に、その数の多さに数え切れない程の櫓が存在した。
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須戸門からの田子櫓 東十八間櫓(一) 東十八間櫓(二) 源之進櫓
飯田丸五階櫓-0102jpg 二様の石垣-065 独立櫓-07jpg 天守閣と本丸御殿09jpg
飯田丸五階櫓 二様の石垣 独立櫓跡 天守閣と本丸御殿
武者返し020jpg 武者返し098jpg 大天守と小天守016jpg 大天守と小天守060jpg
武者返しの石垣 武者返しの石垣 大天守閣と小天守閣 大天守閣と小天守閣
天守閣に上ると熊本市内がぐるりと見渡せ、素晴らしい景観が広がる数寄屋丸二階御広間。数寄屋丸は以前、宇土櫓と同等の櫓があったが、明治になり城内に熊本鎮台が置かれ取り壊された。現在の建物は復元されたものでこちらでは接客用として茶会や歌会、能などが行われた
 
西出丸
 加藤清正が戦が始まっても西出丸は100日は持ち応えると豪語したとあり、飯田丸五階櫓の左手方角にあり二重の空堀と高い石垣が敵の進軍を阻む。

数寄屋丸054jpg 本丸御殿-052 宇土櫓050jpg 宇土櫓全景018jpg
天守閣からの数寄屋丸 天守閣からの本丸御殿 天守閣からの宇土櫓 宇土櫓全景
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宇土櫓 西出丸    

本丸御殿大広間

 本丸御殿は行政の場や生活空間として利用された所であり、御大台所や藩主会見の場として鶴の間、梅の間、若松之間、昭君の間の他に茶室、家老の間などもある。なお、藩主会見の場は格式により使い分けられた。 闇(くらが)り通路は本丸御殿への正式な入り口。
御大台所は火を扱うために小屋組構造の天井は大きな梁(赤松の丸太)が屋根を支え吹き抜けになって床には囲炉裏が二つ。なお、土間は復元されていないため竈(かまど)は見られない。大広間には鶴之間(60畳)の一角にパソコンが用意してあり見物に来た人が熊本城の情報を得られる他、梅の間(35畳)櫻之間(28畳)若松乃間、昭君の間の他に茶室や家老之間などがある。日当たりの良い縁側があり大広間を繋げている突き当たりに若松乃間があり、その横が昭君の間となる。昭君の間から廊下を隔て左手に茶室があり先へ進み右へ曲がれば家老の間となる

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本丸御殿大広間前 数寄屋丸からの本丸御殿

闇(くらが)り通路

闇(くらが)り通路門
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本丸御殿裏 大御台所天井 大御台所 大御台所囲炉裏
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梅之間 縁側と中庭 若松之間 昭君之間天井
昭君之間
本丸御殿大広間の中で最も格式の高い部屋となり壁や襖などには金箔が煌びやかに施され中国の前漢の時代の話、現在のモンゴルに嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が描かれている。
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昭君之間(一) 昭君之間(二)